「悪かったって!まぁ、ちょっと休むッスか♪」 「……うぅー……休む」 近くにあったベンチに倒れこむように手をついたとき、その腕をグイッと引っ張って起こされた。 「何、今休むって……」 掴む腕を振り払おうとしたカシウスの目に映ったのは、もはや懐かしく思える顔。 「バカ。何こんなふらふらになってんだよ」 「……ブルータス……」 「聞き耳、交代」 「え!?あ、あぁ、了解ッス!」 突然のブルータスの登場に驚いたのか、なぜか聞き耳は軍隊のように敬礼した。そして観覧車の前のベンチで座っているポルキアを見ると、いそいそと駆け出して行った。 ブルータスはカシウスを連れて、先ほどポルキアと並んでいたあたりに歩いていった。まだ足元がふらついているカシウスは、ブルータスの歩く速度についていくのに必死だった。 折角ポルキアといい雰囲気だったのに、邪魔をしてしまった。知り合いがゴーカートでフィーバーしすぎて空中で車ごと一回転しているのを見てしまったら、誰でも駆けつけざるを得ないだろう。 斜め後ろからブルータスの顔を覗き見ればはっきり表情には出さないものの、ブルータスはどことなく怒っているような雰囲気だった。唇はぎゅっと閉じられている。 カシウスは申し訳なさと後ろめたさで涙が出そうになった。 ブルータスは列に並んでいたカップルに何か話しかけると、カップルは少し後ろに下がってスペースを空けた。彼らはブルータスが先ほどと違う人を連れているので少し疑うような目つきをしていた。 そのままブルータスとカシウスは列に並んだ。ということは、このまま二人で観覧車に乗るつもりらしい。 「場所取っといてもらったんだ」 もの言いたげなカシウスの視線を汲み取ってブルータスが言った。カシウスは極小さな声で「そっか」と言った。おそらく聞こえていないだろう。それ以上何も言わず、カシウスはすぐ近くに迫る観覧車を見上げた。ゆっくりと動く観覧車は悠然と二人を見下ろしていた。列の途中から並んだおかげで、二人の順番までそう時間はかからなさそうだ。 本当なら、ポルキアと……。ブルータスは優しいから、俺が聞き耳に振り回されていると思って、放っておけなかったんだろう。 カシウスは何か言わなければならない気持ちになった。 「……ブルータス、ごめん」 「え?何が?」 ブルータスは目を合わせずに言った。 「折角……ポルキアと、並んでたのに……俺らが騒いじゃったから」 「……お前らってか聞き耳だろ」 「……ううん、俺もだよ」 聞き耳には恩もあるのでカシウスは一応そう言った。頭の裏側で、どー考えても聞き耳だろっと突っ込んでくるもう一人の自分の声は何とか無視した。 ブルータスは二、三度頷き再び観覧車に目を向けた。 なかなかこちらを見ようとしないブルータスにカシウスは不安を感じたが、背中に回されたブルータスの左手はカシウスをしっかり支えていた。 一体どういうつもりなのだろう。この流れだと、二人で観覧車に乗ることになる。 でも、なぜ?明らかにポルキアの居場所をカシウスが横取りしてしまったような状況だ。ブルータスはこれでいいんだろうか。 ポルキアのことは、あまり話題に出したくはない。どんな顔をされるか全くわからない。 彼女と離れてしまったから、いやな顔をするだろうか。それとも彼女とのことを話したくてうずうずするだろうか。照れてしまい何も言わないかもしれない。 聞きたくない。そんなブルータス見たくない。それを見てしまえば、二人の関係を認めることになってしまう気がする。……だが、この状況を何の疑問もなく受け入れられるほどの図々しさは持ち合わせていない。 カシウスは意を決してブルータスに話しかけた。 「……これでいいの?」 「何がー」 何が、などと言いながら、カシウスの言わんとすることはわかっているようだった。やけに間延びした声で、相変わらずカシウスに目を向けずに言った。 「……ポルキア。二人で観覧車乗る予定だったでしょ」 「……」 「俺が……俺の所為だよね、雰囲気ぶち壊しちゃって……。ごめん」 「……カシウスの所為でもなんでもないし、そもそも誰かの所為とか言う問題じゃないし。何でそんなにへこんでんの?俺と観覧車じゃ嫌?」 「……嫌?違うよ……」 ブルータスを見つめるカシウスの瞳と、ようやく振り向いたブルータスの視線が交じり合う。 久しぶりにブルータスの顔をちゃんと見た気がした。いつも見ている顔だというのに、なぜか鼓動が高鳴る。ブルータスの瞳に、いつもと違う色が見える所為か。強い意志を持ったような、それでいて不安を押し隠したような色。 数秒の沈黙の後、どちらともなく目をそらした。 「二名様ですかぁ」 係員の女の子の明るい声と、それに答えるブルータスの声が聞こえた。 ――なんか、気まずいな……。 あんなにブルータスと一緒にいたいと思っていたのに、今の状態はどうにも居心地が悪かった。 のろのろとゴンドラに足を乗せたカシウスの腕を、先の乗り込んでいたブルータスが引っ張った。後ろで係員の女の子に見られていると思うと少し恥ずかしく感じたが、ブルータスは全く気にしていないようだった。 向かい合わせに座ると、ドアが閉められた。突然空間が狭まって周囲の音が聞こえなくなる。今はブルータスと正真正銘の二人きりだ。 できるなら、こんな気まずい状態で二人きりにはなりたくなかった。自分の呼吸の音も響いてしまうような気がして、喉の奥につっかえたため息を無理やり飲み込んだ。 沈みかけた夕日がゴンドラ内を黄金色に照らす。まるで光線のようで眩しかった。だが太陽は沈み始めたら早い。この光もあと20分もしたら消えているだろう。 膝の上に載せた両手を見つめていたブルータスが口を開いた。 「あのさ、ポルキアなんだけど」 ポルキア。 ブルータスの口から直接その名前が紡がれると、心臓がずきりと痛むのを感じた。 「さっきさ、コクられた」 「…………え、うそ」 「嘘じゃねぇよ。食事してるときにさ、いきなり……いや、いきなりでもなかったけど。とにかく、コクられて」 肺の中に重い液体がずしりと溜まっていくようだった。体の機能がすべて緩慢になって、もうどうにでもなれ、と生命活動を放棄している。残り火のように、熱を残す心臓がやけにリアルだった。 顔の筋肉が上手く動いてくれない。それでも、できるだけ自然に見えるように笑顔を作って、カシウスは声を絞り出した。きっと泣きそうな顔だ。 「……そっか。よかったね」 「よかったって……。最後まで聞けよ。付き合ってないよ。俺、断ったよ」 「断った……?」 「カシウス、隣来いよ」 ブルータスが自分の横のスペースを少し空ける。言われるがまま、カシウスはそのスペースに腰を下ろした。 「俺、ポルキアいいかなって思ってた」 「……うん」 「普通に可愛いし、話してみると気が利くし。でもな……。なぁ、俺はさ、好きなんだよ」 「……うん……」 「お前が」 カシウスは自分の耳を疑った。今、ブルータスはなんて? 「今日、わかった。俺はお前がいいんだ。お前といたいんだ。お前がほかの奴と仲良くしてるとこなんて、見たくないんだ」 ブルータスは窓の外を見た。眩しさに目を細めると、足元に視線を落とした。 「……お前さ、最近聞き耳と仲いいじゃん。それも仲良いっていうか……なんか、お前聞き耳の前ではすごく素直に見えるんだよな。あいつも遠慮ない奴だからかもしれないけど……お前が怒ったり、あからさまにつまんなさそうな態度とったり、そういうの見たことない気がしたんだ。俺は、お前って結構口下手な割りに、嫌なものとか、面倒くさいことには目も向けない、関わらないって姿勢の奴だと思ってて。それが聞き耳の前では全然自分出してて……。今日さ、なんか知らないけど、すごくお前ら二人が目に付いて。コーヒーカップも、乗ってただろ。それで、めっちゃフラフラなお前を聞き耳が支えてるのが見えて……情けないけど、俺、聞き耳相手にすげーイラついたんだ」 カシウスは黙っていた。 「だから、ポルキアにも嫌な思いさせたと思う。俺お前らが気になってまともに会話もできなかった。それで、たぶんポルキアも……なんだ、早くに言ってきたんだと思う。俺がカシウスを気にしてるの気付いたんだろうな。本当は、観覧車で言いたかったって言ってた。観覧車に乗ろうとは最初に言われてたから流れ的に、そのまま並んじまったんだ。よく考えりゃ、すごい残酷だけど。その上、彼女と並んでたのに、今こうしてお前と乗ってるわけだし。なぁ、俺ってひどいよな」 「……わかんない。そうかもしれない」 ぽつりと呟くように言えば、ブルータスは乾いた笑いを漏らした。 『そうかもしれない』だなんて。こんな時でも気の利いた一言も言えない自分の性格にカシウスは小さく息を吐いた。 腿の上に乗せた右手に、熱を持った左手が添えられた。カシウスの右手を離さないようにしっかり掴んで、ブルータスが見つめていた。 「カシウスが、好きだ」 ゴンドラ内に満ちる、ブルータスの凛とした声。その声が頭の内側で反響する。 ずっと待ち望んでいた、けれど決して自分に向けられることはないと思っていた言葉だった。 ――俺も、好き。 そう思った。だが自分の喉は、口は思ったように動いてくれない。言いたいのに。言わなければ。 俺は、ブルータスが好き。言葉にしたい。でも言えない。 今日一日、ずっと不安だったポルキアのことや、そのポルキアにブルータスが告白されたということ、自分と聞き耳の関係にブルータスが嫉妬していたということ、それに、ブルータスが自分のことを好きだということ。いろんなことが頭の中でごちゃごちゃになって、自分の気持ちははっきりしているのに、その様々な出来事にまとわりつかれてなかなか言葉は外に出ない。 微かに、ゴンドラが揺れた気がした。 ブルータスの瞳が近い。ブルータスは体を乗り出すように、カシウスとの距離を縮めた。 「な、……キスしていい?」 カシウスは目を伏せて頷いた。 「あ、メール来たわ。何……先帰っててだって!」 「どうしてでしょう?」 「知らないわよー。どっちにしろもう閉園なのにね」 太陽の光を失った空には、代わりに真白い月が控えめに光を放っていた。その下を歩く人々は駅までの帰路をたどっている。 イザベル、エレーヌ、ポルキア、聞き耳の四人はその人の群れの中に居た。 薄いピンクの携帯を開いてイサベルが口を尖らせた。首をかしげ顔を上げた彼女の視線が、ふと怪訝なものに変わる。 「……何よ、聞き耳。ニヤニヤして」 「ニヤニヤなんてしてないっスよ!ほんとあいつら勝手ッスね」 眉間に皺を寄せ嫌悪感を示しているつもりでも、上向きにひきつる口元は隠せなかった。取り繕うということが極めて苦手な彼である。 「何〜その感じ……あんた何か知ってるわね」 「は!?いやいやいや!!(汗)」 「いいじゃない。それより、もう帰らないと終電に間に合わないかもしれないわ」 左手首の腕時計を見て、ポルキアが思いついたように言った。つられてエレーヌも時間を確認し、一行は早足で駅に向かった。 「あなたも、お人好しね」 「は!?な、何のことッスか?(汗)」 「……つけてたでしょう」 「!!Σ(ビクビクーーーン( ▽ |||)」 「あら、わかるわよ。女の子の方が勘は鋭いのよ」 ポルキアから怒りや不快感は感じなかった。彼女はおかしそうに、けれどどこか寂しそうに笑った。 「あっちゃ〜……バレてたっスか。全く、カシウスのやつがとろいから……」 観念したようなため息が漏れた。イサベルとエレーヌは数メートル先を歩いている。一歩歩くごとに二人との距離は広がった。 「お互い、振られちゃったわね?」 「……ポルキア。俺は」 彼女は人差し指をやんわりと口元に当てて、言うなと示した。 その仕草があまりに綺麗で優しかったので、聞き耳は口を閉ざした。 街灯の白い明かりがポルキアの頬を濡らしていた。 その横顔はいつもの笑みを浮かべていて悲しみは見えない。ふと、聞き耳は自分の姿を見たような気がした。 「でも、あなたは優しいから、きっと彼にとっては特別な存在よ」 歩き疲れた足がようやく駅にたどり着き、一行は各々の帰路に別れた。 ホームから虹色に煌めく観覧車が見えた。幻想的に夜空を飾るそれは、目の前を走る電車によって見えなくなった。